2011年02月05日 (土)
たまたまiPodを再生していたらミスチルの「未来」にぶち当たったので、ちょっと思うことを書いてみます。
さて、上から順に見ていこうか。
『進入禁止だって あらゆるもの拒絶して 追い払ったのは僕だから』 追い払ったのは僕だ。ウザい連中と関わらないよう関わらないよう生きてきたら、誰も通らなくなった。
『生きてる理由なんてない だけど死にたくもない こうして今日をやり過ごしてる』 こういう人に向けてミスチルは音楽やってる気がする。人によって感じ方は違うんだろうけど。僕は死にたい。けれども死ぬ手段がない。だから、生きる理由なしにやり過ごしている人間と基本的には変わらない。
『今僕の目の前に横たわる 先の知れた未来を 信じたくなくて 目を閉じて過ごしている』 はい。
1番はこんな感じ。路上でヒッチハイクをするという設定を設けているだけで、他は「ミスチル」の基本装備だ。男の自意識、屈折した感情を生々しく描き出している。
しかし2番はここから変化させていく。ミスチルらしさの範疇ではあるのだけれど。
『女が運転する 車が止まって 「乗せてあげる」と言った』 結婚である。僕はこの当時(いや、今もまだ抜け切れてはいないのだが)自分の好きな人と結婚することこそが、最高の幸せであると考えていたのだ。そして僕はこの曲を、結婚を目的とした人生の歩き方を正しきものと保障する楽曲として崇めてきたのだ。
まあこれは、今振り返ると、どう考えてもおかしいんだけれど。
歌の中では、この後『そして今 音もたてず忍び寄る この別れの予感を 信じたくなくて 光を探している』と、倦怠期に入ったことを示唆している。そうさそうさ、だけれど、いいドライブにするぜ、そう昔の僕は考えていた。この歌の意味を大きく変える、重大な一節を見逃したまま。当時の僕は自説を補強することに必死だったから、意図的に見過ごしていたのだろう。
この歌最後の詞にはこう書かれている。『ヒッチハイクをしてる 僕を迎えに行こう』
僕を迎えに行く?そんなバカな。
いや、バカではない。この歌の掲げていた「未来」は、結婚生活ではない。
自分を迎えに行くということは、自分で自分を車に乗せるということ。この歌の本質はこうだ。「人生の方向なんて関係ない。好きなときに好きな方を向いて進める。結婚していようがしていまいが関係ない。自分を連れていこう。」むしろ結婚生活の美徳とされているものを否定しているのだ。僕は(「名もなき詩」大サビに関してもそうだが)桜井の結婚観に同調はできない。しかしここではそこに目を瞑って、この自分との向き合い方、自分の人生は(環境がそれを許さなくても!)自分が舵をきれるものなのだという詞を受け止めたいと思った。
この曲に出てくる男=人間、女=踏み込んではいけない禁断の領域という意味かなと解釈してます。解釈だったり宇宙だったり遺伝子だったり…この世界にはやれば出来るかもしれないけれど敢えてやらない方がいい事も沢山あるという事もあるという事かなと思います。
2011/12/08(Thu) 18:22 | URL | はてな | 【編集】
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